うざい日記かもしれんが
岸っす。今回は日記をだらだらと。
10月某日
猫☆魂公演、『アロマ』が終わった。
『いまさら何?』と言われそうだが、あの役には色々考えさせられました。
『役作りが大変だった』などと‥‥‥玄人な言い方はなるべく避けて‥‥‥。
今回は、なんつーかね、『物作りの姿勢』がね、なんともね、しんどかったぜ。
どこまで笑いにしときゃいーのか、とかさ。どこまで本気でやればいいのか、とかさ。
あと、『ここで本気をおしつけるのは相手役に迷惑か?』とかさ。
『オタク役』は過去に一回やっていて。抵抗は全然無いのだが、『ある特定のアイドルのファン』、『おっかけ』、『見返りを求めない愛』、というのが‥‥‥‥なんともね、難しかったね。
こんなことをあけすけに言っていいのかわからないのだが、俺様にとって『役を演じる』というのは、『まったくの別人を演じる』というより『己の生理的感情をセリフにスライドさせる』行為なのです。
もちろん、それを頑なに貫き通しているわけでもない。己の生理に合わないことを沢山してるし、『この役の人物だったら、ここで何を考えるだろう?』と考えてみたりする。いっちょまえに(笑)。
あ、いまさら忠告悪いけど、まじめだから、今日のブログ。まじめすぎてつまらないから。
で、今回は‥‥‥‥『見返りを求めない愛』というのが、とても難しかった。
今回の役はそれが核になっている、と言っても過言じゃないでしょう。
己の何をもってスライドさせるか?
『これだ』と思ったのは『墓参り』だった。
もうこれはわかる人だけわかればいいです。すみません。一方的なブログで。
わざわざ千葉まで墓参りに行ったり、故人にこだわることに関して、よくない余波を起こしているらしい。
実際に何人も不快な気分にさせたし、衝突することも、忠告されることもあった。
自分が思うより、皆には『墓参り』が無駄なことなんだなぁー、と思った。
それぞれ、霊魂の概念は違うのだろうし、弔い方や、故人への想いも違うのだろうから、誰がいい、悪いではない。
もう墓参り関連のことをブログに書くのはこれが最後かもしれない。
だが、事情を知る一部の人には言っておく。
決して故人を偲ぶのがしんどいわけでも、墓参りを怠るワケでもない。
対外的に問題が起こりやすいから。
なんか‥‥‥とにかくそこらへんの特別な自分だけの感情が‥‥カメオだなぁ、と思った。そんな感じです。
『誰にも理解されなくてもいい』『手向けた花が本人に届いているのかわからない』
『でもしょうがない。これが俺の生きる道‥‥‥‥』
ってね。墓地まで続く秋桜が本番中、舞台上に咲いてた。


『芝居って実は孤独な作業なのか?』と疑った、稀有な公演だった。
想いを強く込めれば込めるほど、相手役と自分との意志疎通がはかれなくなった。
演技において、リアルなことや自分の生理に沿ったことばかりが正しい、などとは決して思ってないから、『自分自身と役』『自分役と相手役』その距離のはかり方に翻弄する日々だった。
でも出れて良かった。本心からそう思う。



倉井さん。観に来てくれて、差し入れまでくれて、オマケにニャンコ画像差し入れありがとう。
▽10月31日
そして秩父に住むレイコ氏も、観に来てくれて、差し入れまでくれて、オマケに差し入れニャンコ画像ありがとう。

以前のブログで書いたが、友人T君の誕生日を祝った。
しかしこの日、実は俺様、祝いの場にもかかわらず、友人Nにキレた。キレた、という言い方はちょっと違うかもしれない。
『長く付き合うなら、この琴線には触れないで下さい』といった類いの忠告だったかもしれない。
人間関係において『思っていることを何でも言い合う』のが必ずしも美徳とは思わない。
人と人が本音で付き合っていくと、吐き出すより溜め込むことの方が多い。
押しつけるより、受け入れるコトの方が多い。
しかし、相手との摩擦を溜め込んだり、相手の感情を受け入れても消化出来る量は、ほんのわずか。
『嘘をつかない』。『相手の立場でものを考える』。
たったこの2つを守るだけでも時間が追い付かない。
だから言わなくても済むことは言わなくてもいい。蒸し返さなくても済むことは蒸し返さなくてもいい。
と思っている。基本的には。
友情においても恋愛においても言えること。
こっちから何か発信した時は、最中もアフターもとても疲れる。
感情を押しつける行為は、相手に寄り掛かってることと同義だと肝に命じているから。
相手の懐にズカズカ入り込んでる己を感じる。しかし時にはまくしたてなければ伝わらないこともあろうかと。
主義主張を唱えることを悪だとは思わない。自分なりの誠意が介在するなら。
が、誕生日だったT君には悪かった。
Tよ、Nよ。こんな自分をこれからもよろしく。
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